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  • 美ささ苑のはじまりについて January 01, 2013

    今から約40年前、お付き合いのあった古美術商から

    「獨楽庵」の話が舞い込んできました。

     

    その茶室は利休さんゆかりの茶室で芝白金にあり、

    もう朽ちかけているとのことです。

    持ち主がその土地を道路の拡張のため誰か茶室の

    引き取り手はいないかということでした。

     

    当時、織物で財を築いていた先代は美術品に大変興味があったため

    直感的に心惹かれとにかく見てみましょうということになったのです。

     

    それから古美術商の山田三郎さんと数寄屋建築家の藤井喜三郎さんの

    案内で茶室を見に行くことになりました。

     

    ~ その時の様子を後年、藤井さんはこう語っています

     

    「山田三郎さんからの話で、こわれかけた茶室があるのだが、

    由緒があるのでどんなものか鑑定してほしいということでした。

    行ってみると、壁もだめ、畳もボロボロ、あちこち雨漏りがしている、

    ちょっと見るととてもいけません。でも中にはいって仔細に見てみると、

    実に良くできている。不昧公が大事にしていた茶室の雰囲気がある、

    写したもの、復元したもので、二代目には違いないが、よくできています」

     

    初対面だった先代と藤井さんとの間に、こんな会話があったそうです。

     

    先代:「この茶室使いものになるのでしょうか」

    藤井:「ええ、これは日本にたった一つしかない茶室です。

        不昧公が大事にした利休さんゆかりの茶室だけに、良くできています。

        復元すればいい茶室になるでしょう・・・」

    先代:「そうですか、では、あなたがちゃんと復元してくれますか」

    藤井:「ええ、復元される場合はお引き受けします」

    先代:「じゃあ、いただきます」

     

    ~ 藤井さんはその度胸と決断のよさにびっくりしたといい、こう語っています

     

    「奥さん(先代)は即、無心でお買いになった。私の言葉を信用して、

    そうとうの大金でしたが、ポンとはたいてです。私は感激しましたね。

    そして大いなる責任を感じました」

     

    ところが復元の依頼をした頃から

    本業の織物業の環境が急速に悪化してしまい、

    婦人服の洋風化にしたがって着物が売れなくなり、

    財力に余裕がなくなってしまったのです。

    茶室を復元するどころではなくなり藤井さんはおかんむりでした。

    藤井さんが、しばらくして奥さん(先代)に会ってみると

     

    先代:「個人の力でも復元しようと思うのだけど、どのくらいかかるだろうか」

    藤井:「それでどこに建てるんですか?」

     

    聞いてびっくり、当初は千坪もある丘の上の景色のいいところに

    と聞いていたのが、一変して自宅に隣接する工場の跡にということでした。

    そこは周囲を建物に囲まれた二百坪くらいの敷地です。

    不昧公の大崎茶苑のイメージがあった藤井さんは

    「なんて情けないことになったのか」と落胆したのです。

    「私なりに夢をいだいていましたから・・・。

     でも贅沢はいってはいられません。ここに建てなければ獨楽庵は

     このまま永久に消え失せてしまうかもしれない。私も70歳を越えていて、

     奥さんもこれが最後のチャンスだとおっしゃる。

     予算も限られているけど、何とか復元してほしいとのことでした。

     私はその志に感激して、ソロバン抜きでお引受することにしました」

     

    ここから藤井さんの精魂を傾けた復元作業が始まります。

     

    「この復元作業は同時に作庭と広間や腰掛の建築も含まれていました。

     石組みをして流れをつくり、中門と枝折り戸をつくり、

     茶庭には蹲・灯籠を据えました。フラットな土地に高低をつけるため

     トラック数十台に及ぶ石と土を運び込みました」

    茶室の復元に1年、庭や広間や待合をつくるのに1年かかりました。

    その間、あっちに立ち、こっちに立ち、座ったり立ったり、

    どの目線でもよいように石の一つ、植栽の一つ一つをチャックしました。

    それは大きなキャンバスに精密な絵画を描くような根気のいる

    精緻な仕事でした。先代はつきっきりでお茶を入れ食事を用意し、

    一休みの時には、夏にはおしぼりを、冬にはこたつをと、

    いたれりつくせりの世話をやきました。

    藤井さんはそれに感動して全身全霊を傾けました。

    こうして二人の文字通り懸命の思いがこの獨楽庵を甦らせ、

    露地と関連施設を完成させたのです。

     

    藤井さんは後日こう語っています。

     

    「私のような者でも、一生の内には何か後世に残るような仕事をしたいと

     思っていました。その機会を与えてくださったのが奥さん(先代)です。

     ですから、私は一生懸命、全身全霊を込めてこの仕事をしたのです。

     この庭と建築が人々に感動を与え、人々に癒しの空間を提供することが

     できれば本望です」

     

    仰木魯堂ゆずりの近代数寄屋のセンスで建築は進みました。

    お茶会のための、お道具がひきたつ空間、建築が出過ぎたり

    表現したりしてはいけない、そうした考えが基底にありました。

    本当にお茶が好きな人でなくてはできない茶室・露地です。

    事実、この茶室には他にはないものがあります。

     

    まずは究極の席といわれる「一客一亭」の二畳席、

    それに続いた太柱が特徴の逆勝手の席、腰障子の貴人席で、

    それはご自分が亭主として楽しむ席ともいえます。

    にじりのある三畳台目はオーソドックスで客が楽しめる席。

    それにここは水屋は広くて、しかも絞り丸太のいい床の間があるのです。

    この三つの茶室を一棟に収め共通の水屋をつけた構成は珍しく貴重です。

    どうしても茶人を悦ばせるものをつくらなくてはいけない、

    その気持ちが庭を囲う東西の二方に隠し塀を造らせました。

    自然の風景、天平文化、桃山の文化、光琳の気分が伝わっているような、

    それらを凝縮したような空間、藤井さんの設計意図はそんなところにあったようです。

    庭については、まず石組み、それは骨格のようなもの、築山から

    水の流れがあり、その流れをわたらないと茶室に入れないようになっている。

    そこで身を清める、そして枝折り戸があって蹲と灯籠がある。

    二百坪のところに小宇宙をつくる、市中の山居をつくる、そんな意気込みでした。

     

    いよいよ準備が整っていきここで、一つの大きな課題が出てきました。

    この茶苑の名前であり、看板です。

    名前は「美ささ織」からとって「美ささ苑」にすることで合意していましたが、

    問題はその看板を誰に揮毫してもらうかということです。

    まず、浮かんだのは禅の高僧です。お茶といえば京都の大徳寺、南禅寺

    そして、鎌倉の円覚寺など、しかし、いくつかの候補の一行書を見ても

    禅的にすぎるのか風味の点でいまひとつぴったりとくるものがありません。

    書家の書も調べてみましたが、なにか衒いがあって魂に響くものがないように感じ、

    画家の書にいい感じのものがありましたが、

    禅的な精神性が弱いような感じがしていました。

    そんな時、たまたま本屋の書棚で、これだ!という書を見つけました。

    それは豪華本『東大寺』の背表紙に書いてある「東大寺」の文字で、

    雄勁で美しく、しかも魂に響くものがありました。

    それは東大寺の貫主、清水公照老師の書でその世界では有名な方でした。

    そこで知人を介し老師に打診してもらいました。

    すると「獨楽庵」の由来を聞いて快く聞き入れくださり、

    「美ささ苑」と「獨楽庵」の二つの書を揮毫してくださることになったのです。

    そしてようやく、昭和57年3月に無事完成したのです。

     

    獨楽庵復元から一年ほど経ったとき

    いっそのこと懐石料理も始めようという話が浮上。

    それまでは茶会の点心などはその都度仕出し屋からとっていました。

    おもてなしが好きだった先代は早くから料亭を経営する夢もあり

    お茶をベースにしながらもっと気軽に茶を楽しみ、お料理を楽しめる

    そんな場所がほしいとの思いが強かったようです。

     

    こうして隣接する旧工場跡地にいろいろ設計図を描き、客の流れや

    サービスの動線を考え、藤井さんに建築を依頼したのです。

    そこには貸茶席が必要だというので四畳半台目と十畳半の茶室もつくりました。

    一般の料亭では「仲居」というところを、美ささ苑では「半東」と呼びならわし、

    その心得にも茶の湯がベースになっていることを明記しました。

    庭と座敷、軸と花、料理と器、挨拶、給仕、立ち居振る舞い、

    それら全てが美的にコーディネートされていること、

    そしてお客様との出会いは、一期一会であり、日々のおもてなしに

    茶の心を反映させること、客のこころになってもてなすこと、これが基本方針でした。

     

    美ささ苑の新築部分はこんな様子です。

    獨楽庵と寄付三畳の間を流れ沿いに行くと、

    そこには美しい天平瓦をデザインした石庭になっていて、

    もう片側にモダンな四角の蹲石と四畳半台目の席、

    もう一方に橋杭の木組みを象った蹲があり、

    透かし彫りのある風流な濡れ縁があって、十畳半の広間につながっています。

    藤井喜三郎氏の苦心の作で、

    利休好みのにじり口のある小間と秀吉好みの開放的な広間との取り合わせです。

     

    こうして獨楽庵復元から遅れること2年半、

    昭和59年10月、ようやく懐石料亭「美ささ苑」が誕生したのです。

     

    中庭風景

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